前回からの続きです。
はっきり何時とは覚えてないが、病院の消灯時間を過ぎてしばらく経ってからだったと思う。転び方が転び方だったので全身が痛いのは当たり前だとガマンしていたが、時間の経過とともに腰部の痛さが我慢の限界に近づいてきた。しまいには痛さのあまり額に脂汗がにじんでくるくらいの激痛に変わり、おまけに体中が火照るくらい熱が出てきた。
ガキのころからオートバイで転ぶ痛さは何度も経験しているので、今回のこの痛さはとても尋常じゃない気がした。僕はたまらずにベットの脇にあるナースコールボタンを押した。
おっとり刀でやって来た中年の看護婦(当時の呼び方だ)は僕の訴えかけに同情するでもなく、事務的に僕に痛み止めの注射を施した。注射を受けた直後は体が腰の激痛もなんとか収まり、同時に気持も楽になった。これで眠れるな...
ところが意識がふっと落ちかけたと思う間もなく、また腰部に鈍い痛みが襲い始めてきた。これは絶対におかしい。これだけ痛み止めが効かないというのは腰の骨でも折れているんじゃないか? X線検査ではどこも骨折なし、なんて言っていたのに... 僕は2度目のナースコールボタンを押した。
「川島さん、どうしたんですか!?」
事務的だった看護婦の態度が今度は威圧的になっていた。どうにも腰の痛さに我慢できないことを伝えると、なんと彼女は驚くような言葉を発した。もうふた昔以上の出来事だが、その言葉は今でもはっきりと覚えている。
「あのねぇ、あなたはものすごいスピードで転んだのよ、オートバイで。先生も言ったように全身打撲だから腰が痛いのは当たり前なの。だいいち痛み止めのモルヒネなんか何回も打ったら、それこそ死んじゃいますよ! もう東京の人はワガママだから困ります!」
痛さで意識もうろうとなっていた僕だが、ワガママと言われて精一杯の抵抗をした。
「いや僕はガキの頃からオートバイで何度も転んでいるからわかる。これはただの打撲じゃないです!」
「あなたウチの先生のいうことが聞けないっていうの!? それならいますぐ病院を出て行ってもらいますよ!」
結局、僕は痛さでほとんど一睡もできない状態で朝を迎えることとなった。今から思うと本当に幸運だったことは、この日が東京の大学病院教授が週1に回、この病院に回診に来る日だったことだ。
若い医者を数人連れだって僕のところに回診に来た教授は、ほとんどへばりかけている僕と診察カルテをみて開口一番、
「内臓の検査は?」「ムニャムニャ(病院側人間の答えはよく聞こえなかったが、してないと答えたのだろう)」
僕はすぐに血管に造影剤を注射され、X線室に運ばれた。
「腰部の痛さの原因は左の腎臓が破裂していたからだよ。でもねその腎臓から膀胱へ行く管がX線に写っているから、腎臓はまだ機能を完全に失っていないんだ。腎臓摘出手術はすぐにでもできる。だけどあなたの将来を考えると腎臓がふたつあったほうが絶対いいから、すこし様子を見ようね」
大学教授のこの言葉は昨晩の出来事と比べ、なんと患者側に立ったものか。僕はこの先生だったら任せられるな、と心底思った。
「8時間ごとに造影剤を体内に入れてX線検査をしましょう。それで例の管がX線写真に写らなくなったりしたら、腎臓がダメになった証拠だから摘出しましょうね。死んだ臓器を体内に残しておくことはできないからね。48時間体制でいつでも手術可能な準備をしておくから」
この、一見冷徹な説明にも僕は冷静でいられた。いかに患者と医者の信頼関係が重要かを身をもって知ったということだろう。
いや、この教授の回診日があと3日遅かったら、僕はいまこの世に存在していたのだろうか...
病院に担ぎ込まれた、その翌日がこの教授の回診日だったことに感謝している。
「検査ばっかで辛いだろうけどさ、もう一度全身のX線撮り直そうか、骨の」
僕のために病院に宿泊してくれた教授が翌朝、相談ごとのように僕に言ってくれた。もちろん僕は快諾した。
「あの、やけに両手が痺れるんですよ。あと、なんか頭がボーッとしていて目の焦点が合わないような...」
腰のほかに気になるとこある?という問いかけに、僕がこう答えたときだった。教授の表情が一瞬変わったのを僕は見逃さなかった。
2時間以上X線室に閉じ込められ、ようやく部屋(ICU)に戻った僕だったが、即座に首にコルセットが巻かれ頭の左右についたてが立てられた。いやな予感がした。
「そんなにひどくないけど、ちょっと頚椎が潰れていたな。手が痺れるのは神経を圧迫しているんだよね。なるべく頭を動かさないようにね。あと、頭蓋骨線状骨折もみられたな。だけどこれはそう心配いらないよ。脳波はほとんど正常だったからね。」
ええっ、頚椎圧迫骨折? 頭蓋骨線状骨折? つまり首の骨が潰れて、頭蓋骨にもヒビが入っていたの? 左の腎臓を取るとか取らないっていうだけじゃなくてさ...
これにはさすがに僕も落ち込んだ。と同時に病院に担ぎ込まれ、初診で言われたこととは全く異なった展開に無性に腹が立ってきた。この病院をすぐに出て先生の主勤務病院に転院させてください、と懇願した。
「いますぐといってもムリだよ、しばらくあなたは動かせないもん。1ヶ月はここかな」
今日も朝起きて看護婦に手が痺れるって言ったら、手枕にしてたからじゃないのって言われたんですよ、そんな病院なんて... と僕は喉まで出かかったその言葉をぐっとこらえた。
またまたこの項続く... 長い! ひっぱる、ひっぱる...