2009年3月アーカイブ

驚きのデータ...

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一昨年の道交法改正で、オートバイの駐車違反摘発が急増化したのは皆さんもご存じのことと思う。そんな中、歴史ある情報紙である二輪車新聞にから、昨年のオートバイ駐車違反摘発件数の資料が僕の手元に届いたが...

 

二輪車新聞によると、昨年全国で摘発されたオートバイの駐車違反件数はなんと433,000件。これは07年の52万件から17%減少したことになるが、それでも1日で1200台弱という数のオートバイが駐車違反切符を切られていることになるのだ。

これを各都道府県で見ると1番多いのはやはり東京で約163,000件、1日に換算すると446台が摘発されている。次いで大阪がで91,600件、神奈川71,200件、京都33,700件、千葉17,500件、埼玉14,000件と続いている。

ちなみに東京のこの163,000件という数字は全国の36,7%という驚くべきデータで、つまり駐車違反の4割弱が東京に集中していることになる。さらに東京の二輪車保有台数の約115万台からみると、なんと7台に1台が駐車違反切符を切られた計算だ。

 

もっと驚くだろうデータを出そう。それはオートバイの駐車違反件数が年間0台という県が青森県や山梨県、岐阜県など16県もあるということだ。さらに駐車違反がひとケタの県も11県あり、都合27県のその合計はたったの39台なのである。ちなみに東北地方は宮城県の2,000台弱を除き、あとの5県はゼロかひとケタという違反件数だから、何かがおかしい。

もちろん摘発件数が少ない地域に対して、もっと厳しく取り締まっってほしいなどと言うつもりはないが、なんかスッキリしないデータと誰もがだと思うことだろう。

 

付け加えて書くと、駐車違反件数の極端に少ない10以上の地域で、軽2輪の販売台数が前年度より増加しているという。その数値は青森県が前年度比124%、山形が116%、滋賀115%、新潟108%となっている。ちなみに軽2輪販売台数の前年度比は全国の平均が87%というのに、である。

とどのつまり、軽2輪は駐車違反摘発件数の高いところが販売不振である、と結論付けられてしまうのだ。

 

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昨日はS氏が入手したGSX-R600K7レーサーを1日がかりでステッカーチューン。これで2秒速くなります?

 

GSX-Rカップのカップです。

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だんだん暖かくなってきましたね。

今日は春を感じさせる1日になりそうです。といってもケンツで仕事していますけど...;^^A

 

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これは筑波ツーリストトロフィレース、GSX-Rカップの優勝カップです。全高40cmほどと、はっきり言ってデカイです(^^)V  レース後の表彰式でウイナーにもちろん一旦お渡ししますが...

 

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大相撲の持ち回り優勝カップのように、大会ごとの各クラス優勝者の名を刻んだプレートが取り付けられます。つまり「永くその栄誉を称え...」ということです。

 

この優勝カップ、今年はケンツに飾っています。

あっ、もちろんこれとは別にお餅帰りの優勝カップ(盾かな?)もありますから。

6月の筑波TTもお待ちしております。このGSX-Rカップレースは卒業タイム制度があるから、速過ぎる人はすぐ卒業しちゃいます。だからビギナーの方、ウェルカムですよ〜(^^)V

 

感動したっ!!

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今日のネタはやっぱりWBCですよね。

すんげー、侍ジャパン、やったー(^0^)/

 

まあ正直言って僕は野球世代ですから。子供の時分は三角ベースの野球か、自転車遊びのどちらかでしたね。あっ、プラモデル作りもあったな。

今日は仕事が終わって帰宅してTVのダイジェストで観たけど、すんごい接戦でしたね。しかし韓国もめちゃ強いよなぁ。でも最後はやっぱりイチローがやってくれるんですね。さすがという言葉以外ないです。

この数年、日本のプロ野球が面白くなくなって僕もほとんどTV観戦しなくなっていたけど、今回のWBCで久々に野球の醍醐味を味わわせてもらった、って感じです。スポーツというのものはやはり人々に感動をもたらせるものなんですね。

 

スポーツの、勝利の感動をみんなで分かち合う。数年前の全日本を思い出しちゃいました。究極の感動を味わうって、人生にそう何回もあるもんじゃないですよね。

 

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駐車場に花一輪。春ならではのシーンですが、クルマが停められな〜い;^^A

 

 

 

 

 

 

もてロー開幕戦!

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またまたサボリ気味のこの社長部屋。週に2.5回くらいしか書いてないじゃん、なんてズバリ指摘されちゃったりして...;^^A

 

この週末はまたまたツインリンクもてぎの住人?でした。そう、もてぎロードレース選手権のサーキットアドバイザーです。

昨日の土曜日は少々風が強かったものの1日中快晴で気温も高く、レース日和という言葉が似合う1日でした。午前中のスポーツ走行と午後の2クラスのレースもつつがなく終了。

しかし今日は一転、もてぎはまるで台風の様相! 雨の量はさほどでもなかったけど、1日中降ったり止んだりの繰り返しで、風速は常に10m以上というバッドコンディション。

2レース目のもてローの人気クラス、スーパープロダクションクラスは目まぐるしく変わる天候に翻弄されたか、2回も赤旗が出る始末... アクシデントの割にはほとんど負傷者が出なかったことが唯一の救いでしたね。これでレーススケジュールがが90分も遅れたけど、何事も安全第一です。

今日はピットやグリッドで何回もタイヤ交換をしたエントラントさんも多かったことでしょう。ホントに雨のレースは晴れのレースの倍くらい疲れますよね。これはエントラントさんたちだけじゃなく、オフィシャルさんたちもですが...

とにかく今回のもてローに参加されたすべてのみなさん、お疲れさまでした!!

 

天気.JPG 

土曜日はこんな感じの快晴。ホントにレース日和ですよね。

 

雨.JPG

で、日曜がこれです。雲がものすごいスピードで流れると同時に強風と雨粒が...

24の春 最終回〜

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えー、やっと「24の...」続きです。

引っ張りすぎだよね...;^^A

 

問題の腎臓は8時間ごとのX線検査での3回目、つまり24時間後までの検査結果は一進一退というものだった。これは後日聞いたことだが、病院は常に手術室を空けておき、いつでも摘出ができるよう準備をしていたらしい。

しかしそこからシブトさを見せるのが僕の真骨頂? 検査がが4回目、5回目と進むうちに奇跡的に腎機能が向上していった。また尿に混じる血液、つまり血尿も徐々におさまり始め、尿の色は紅茶パックをカップにずっと入れておいた紅茶の色から、出がらし紅茶の色くらいまでに変化していった。

真冬だというのに僕は氷の腹巻きを巻かれた状態で何日も過ごすことになったが、結果的に摘出手術は回避され、今でも僕の体には立派にふたつの腎臓が備わっている。

 

担当医の教授が主勤務している大学病院に民間救急車を使って転院できたのは、事故からほぼ1か後のことだった。近代的で清潔な病室の、その僕のベット脇にはすでに花瓶に花が一輪。病院側の気遣いだった。

 

「僕はあとどのくらいここに入院してなきゃいけないんですかね」

転院して何日も経っていないある日、こんな質問を婦長さんにぶつけたことを覚えている。首のコルセットをなかなか外してくれず、横を向くのもままならないのだ。僕はベットに寝たきりが続いていたから苛立っていたのだろう。

「ほら、もうじき春でしょ。ここら辺は桜の名所だから桜吹雪なんかがとっても綺麗なのよ。そこを散歩できるようになってからね、たぶん」

この文学的な答え。そうか、もうすぐ春だよな、やっと暖かくなるんだな。僕は早く桜吹雪の中を散歩したい気分になり、なぜか気持が落ち着いた。この婦長の気の利いたセリフ、どこかの看護婦に聞かせてやりたかった。

 

首のコルセットが外れたのは転院して半月が過ぎたあたり。同時にベットの上で起き上がってもいいという許可が出たが、上半身を起こした途端に頭がクラクラするほどのめまいを感じた。1か月半以上も寝ているとこんなになっちまうのか。今度はそこから1か月半のリハビリ生活が始まったのだ。

めまいを感じなくなるのに3日ほどかかったと記憶している。そうすると次は2本の脚で立ちあがることだ。予想していたことだが、立ち上がると膝が小刻みに震えた。階段は上るより降りる方が膝に負担がかかることをこのとき初めて知った。

病院にはトレーニングルームもあった。桜の枝につぼみが見え始めるころ、マシンを使用しての筋トレや軽いジョギングなどもリハビリメニューに加わる。

 

桜吹雪の中は、残念ながら退院してではなく外出許可でこれを楽しんだ。見舞いに来てくれた友人に多摩川の土手までクルマで連れて行ってもらい、さらに桜、いやお花見を楽しんだ。

そして3カ月の入院生活が終わったのはとっくに桜が散ったあと、その枝に緑の葉が付き始めて、そろそろゴールデンウィークが話題になるころの季節だった。

 

...オマケ。今だから言えること、つまり時効だ。

外泊許可をもらえるようになり、退院も間近になってからのこと。僕は友人に頼んで筑波サーキットに連れて行ってもらった。しかも自宅から革ツナギとヘルメットを持って。一時はもうニ度とオートバイに乗れないんじゃないかと思っていたから、このときはサイコーでした。またレースができそうだぞ!! ってね。

えっ、入院中にサーキットを走ちゃったのかって? えーと、そう、これは夢だったかな?;^^A

 

最後に...

もうふた昔以上前の出来事をズラズラと書きましたが、じつはこの事故後10年くらいはその話題に触れられるのがイヤでたまりませんでした。「もうアタマの後遺症はないの」とか「腎臓いっこ取っちゃったんだっけ」とか「ハンドルが腹に突き刺さったんだよね」とか、事故自体を奇異の目で見られるのがとても不快だったのです。

それが15年を過ぎ20年を過ぎて、なぜか事故のことを話してもいいな、というふうに気持ちの変化が現れ、当時心配してくれ何度も見舞いに来てくれた親しい友人や、事故当日現場にいた関係者などに、そのときの心境を話すことが出来るようになったのです。

じつはこの富士スピードウェイでの事故、僕にとって失ったものはなにもなく、逆にたくさんの大切なものを得ることが出来たのです。

そのことはまた機会ができたら書きたいと思います。

 

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今日はもてぎでアドバイザー仕事。なんとDE耐!マシンが140台も集合!! みなさん、いい練習になりましたか?

続きは... あした!!

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さきほど筑波サーキットから帰って来ました。今週末は金曜日の特別スポーツ走行から始まって土曜と日曜は筑波ロードレース選手権と筑波三昧。それも毎日早朝5時起きだからちょいと寝不足です。 

今回は金曜がアドバイザー、土日はなんとレース運営役員側に回って大会競技副監督なんていう大役を仰せつかったりして...

 

この初体験の仕事はなにぶん気を遣うことばかりでした。そして土日とも大きなアクシデントもなく無事にレースが終了したことで、さてブログ用の写メをとポケットからケータイを取り出し、新しくなった筑波サーキットの14連モニターを写して... あれれ、またまたケータイカメラの調子が悪くて写真が撮れないじゃん!!

てなワケで連続写真なしのブログでカンベンしてください。

で、もうひとつカンベンごとをば。例の「24の春...」の続きを今晩書こうと思っていたけど、アタマがちと回っていないし、時間も遅いので明日にしますね。

ちなみに明日の晩からはツインリンクもてぎに入り、明後日の火曜はDE耐!の走行会アドバイザーです。そし水曜日はケンツでお仕事、木曜日は都内で全日本筑波大会の会議、金曜の晩からは再びもてぎ入りして週末の土日はもてぎロードレース選手権のアドバイザー...;^^A 

春のハードワークはしばらく続きそうです。

24の春 Part2

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前回からの続きです。

 

はっきり何時とは覚えてないが、病院の消灯時間を過ぎてしばらく経ってからだったと思う。転び方が転び方だったので全身が痛いのは当たり前だとガマンしていたが、時間の経過とともに腰部の痛さが我慢の限界に近づいてきた。しまいには痛さのあまり額に脂汗がにじんでくるくらいの激痛に変わり、おまけに体中が火照るくらい熱が出てきた。

ガキのころからオートバイで転ぶ痛さは何度も経験しているので、今回のこの痛さはとても尋常じゃない気がした。僕はたまらずにベットの脇にあるナースコールボタンを押した。

おっとり刀でやって来た中年の看護婦(当時の呼び方だ)は僕の訴えかけに同情するでもなく、事務的に僕に痛み止めの注射を施した。注射を受けた直後は体が腰の激痛もなんとか収まり、同時に気持も楽になった。これで眠れるな...

 

ところが意識がふっと落ちかけたと思う間もなく、また腰部に鈍い痛みが襲い始めてきた。これは絶対におかしい。これだけ痛み止めが効かないというのは腰の骨でも折れているんじゃないか? X線検査ではどこも骨折なし、なんて言っていたのに... 僕は2度目のナースコールボタンを押した。

「川島さん、どうしたんですか!?」

事務的だった看護婦の態度が今度は威圧的になっていた。どうにも腰の痛さに我慢できないことを伝えると、なんと彼女は驚くような言葉を発した。もうふた昔以上の出来事だが、その言葉は今でもはっきりと覚えている。

「あのねぇ、あなたはものすごいスピードで転んだのよ、オートバイで。先生も言ったように全身打撲だから腰が痛いのは当たり前なの。だいいち痛み止めのモルヒネなんか何回も打ったら、それこそ死んじゃいますよ! もう東京の人はワガママだから困ります!」

痛さで意識もうろうとなっていた僕だが、ワガママと言われて精一杯の抵抗をした。

「いや僕はガキの頃からオートバイで何度も転んでいるからわかる。これはただの打撲じゃないです!」

「あなたウチの先生のいうことが聞けないっていうの!? それならいますぐ病院を出て行ってもらいますよ!」

 

結局、僕は痛さでほとんど一睡もできない状態で朝を迎えることとなった。今から思うと本当に幸運だったことは、この日が東京の大学病院教授が週1に回、この病院に回診に来る日だったことだ。

若い医者を数人連れだって僕のところに回診に来た教授は、ほとんどへばりかけている僕と診察カルテをみて開口一番、

「内臓の検査は?」「ムニャムニャ(病院側人間の答えはよく聞こえなかったが、してないと答えたのだろう)」

僕はすぐに血管に造影剤を注射され、X線室に運ばれた。

 

「腰部の痛さの原因は左の腎臓が破裂していたからだよ。でもねその腎臓から膀胱へ行く管がX線に写っているから、腎臓はまだ機能を完全に失っていないんだ。腎臓摘出手術はすぐにでもできる。だけどあなたの将来を考えると腎臓がふたつあったほうが絶対いいから、すこし様子を見ようね」

大学教授のこの言葉は昨晩の出来事と比べ、なんと患者側に立ったものか。僕はこの先生だったら任せられるな、と心底思った。

「8時間ごとに造影剤を体内に入れてX線検査をしましょう。それで例の管がX線写真に写らなくなったりしたら、腎臓がダメになった証拠だから摘出しましょうね。死んだ臓器を体内に残しておくことはできないからね。48時間体制でいつでも手術可能な準備をしておくから」

この、一見冷徹な説明にも僕は冷静でいられた。いかに患者と医者の信頼関係が重要かを身をもって知ったということだろう。

いや、この教授の回診日があと3日遅かったら、僕はいまこの世に存在していたのだろうか...

病院に担ぎ込まれた、その翌日がこの教授の回診日だったことに感謝している。

 

「検査ばっかで辛いだろうけどさ、もう一度全身のX線撮り直そうか、骨の」

僕のために病院に宿泊してくれた教授が翌朝、相談ごとのように僕に言ってくれた。もちろん僕は快諾した。

「あの、やけに両手が痺れるんですよ。あと、なんか頭がボーッとしていて目の焦点が合わないような...」

腰のほかに気になるとこある?という問いかけに、僕がこう答えたときだった。教授の表情が一瞬変わったのを僕は見逃さなかった。

2時間以上X線室に閉じ込められ、ようやく部屋(ICU)に戻った僕だったが、即座に首にコルセットが巻かれ頭の左右についたてが立てられた。いやな予感がした。

「そんなにひどくないけど、ちょっと頚椎が潰れていたな。手が痺れるのは神経を圧迫しているんだよね。なるべく頭を動かさないようにね。あと、頭蓋骨線状骨折もみられたな。だけどこれはそう心配いらないよ。脳波はほとんど正常だったからね。」

ええっ、頚椎圧迫骨折? 頭蓋骨線状骨折? つまり首の骨が潰れて、頭蓋骨にもヒビが入っていたの? 左の腎臓を取るとか取らないっていうだけじゃなくてさ...

 

これにはさすがに僕も落ち込んだ。と同時に病院に担ぎ込まれ、初診で言われたこととは全く異なった展開に無性に腹が立ってきた。この病院をすぐに出て先生の主勤務病院に転院させてください、と懇願した。

「いますぐといってもムリだよ、しばらくあなたは動かせないもん。1ヶ月はここかな」

今日も朝起きて看護婦に手が痺れるって言ったら、手枕にしてたからじゃないのって言われたんですよ、そんな病院なんて... と僕は喉まで出かかったその言葉をぐっとこらえた。

 

またまたこの項続く... 長い! ひっぱる、ひっぱる...

 

 

 

 

そのとき、僕は周りのざわめきで睡眠から覚醒しつつあった。

ったく、こんな朝っぱらからどこのどいつが騒いでいるんだぃ。うるさくて寝ていられやしないぜ...

 

「直線だったから相当なスピードが出ていて...」「転倒直後は自分で起き上がって...」「大丈夫だってしゃべっていた...」

あれっ、なんかヘンな会話してるぞ。直線? 転倒? 意識がない? うん?? もしかしたら俺、コケたんじゃないの、バイクで... 

寝ぼけたアタマが、いや正確に言うとショートしていたアタマの回路が徐々に復活してきた。

そうだ、僕は寝ていたんじゃいない、直線でめちゃめちゃ振られてコケたんだよ! ということは気を失っていたのか...

僕は目が開くのと同時にこう言ったのをハッキリ覚えている。

「直線でめちゃくちゃ振られて転んじゃったんだよね」

次の瞬間、僕の(ベットの)周りで歓声が響き渡った。

「よかった、よかった、意識が戻ったぞ!!」

 

忘れもしない、24才の早春の出来事だ。もっと正確に言うと、2月6日(この2月6日という日は不思議な因縁があるようで... そのことはまた後日)、場所は富士スピードウエイ。そのころ勤務していた二輪専門誌の仕事でリッターバイク改造車特集テストと銘打ち、ゼロヨン&最高速度計測テストに臨んでいた。この日、富士SWに持ち込んだ改造車は10台近くで、テストライダーは僕を含めて確か4人だったと思う。

テストはまずはゼロヨン発進加速から開始された。この会社に入社して1年半が過ぎ、テストライダーとして毎日のようにオートバイを走らせて多くの経験を積み、これまでのレース経験と合わせて僕はテストライダーとして自信を深めていた。体重が軽量なこともあり、このような定地テストではベストな数値を叩き出すことも多く、その意味では多分に自信過剰の域に陥っていたのだろう。今だからこそ言えることだ。

ゼロヨンではテスト車はどれもが好タイムをマークしたが、それでも1台だけ問題があった。スタートして全力加速、間もなくゴールの400mに到達しようかという地点で、いきなり何の前触れもなく激しいウォブル(ハンドルが振られる状態を指す)が発生するのだ。

これは他のテストライダーも同様な経験をしたようで、このバイクの最高速テストはちょっと危険そうだからヤメよう、ということとなった。ちなみにそのオートバイはリッターネイキッドバイクにターボチャージャーを装着したもので、そのターボが効き始めると鬼のような加速力が生まれると同時に、明らかにフレームの剛性不足を露呈していた。

 

そうこうしているうちに最高速度テストが始まった。テストライダーたちがピットにあるオートバイに次々と乗り換え、富士SWを周回しながら写真撮影を行うと同時に最終コーナーを全開で駆け抜け、およそ1,2kmある直線の最後部に設けた光電管計測地点を通過して最高速度を測る、というものである。

ピットで次のテスト車に乗り換えるとき、そこにいる編集部員に今走り終えた自分の最高速度の結果を聞く。トランシーバーから帰ってくる計測スタッフの返事を聞き、僕がどの車種でもだいたいベストな数値をマークしていることに満足した。富士SWでの最高速チャレンジは上りの最終コーナーをいかに速く駆け抜けるかが勝負、なんてひとりで悦に入っていた。

そのときだった。誰も乗らずにピットにポツンと残っていた例のターボ装着車、このオートバイのオーナーが僕のところに来てこう言った。

「あの、1回だけでいいですから最高速にチャレンジしてみてくれませんか?」

 

まあ、やってみるか。振られたらそこでやめればいいんだし、なんとかなるだろう... これまでの今日のテスト結果に気を良くしていた僕はターボ車に跨った。

2周目の最終コーナー、スロットルを開けていくとあきらかにフレームがしなる感じがした。フレーム補強のアドバイスをしたほうがいいな... とヘルメットの中でつぶやき、第1コーナー手前の計測地点を目指して思い切り上体を伏せた。そして直線の最後にある計測地点とそのスタッフが見え始めた、そのときだった。

いきなりフロントタイヤを誰かにバンバンと叩かれたごとくのようにハンドルが激しく左右に振られた。メーター読みで250km/h近く、実測でも230km/h以上は出ていただろう。その速度域でハンドルがフルロックしてストッパーに当たる音がハッキリとヘルメット越しに聞こえたのだ。カンカンカン! その悪魔のような音は4〜5回ほど聞こえたが、その直後に僕の記憶は完全に途切れた。その後の記憶は冒頭のシーンになるまで何も覚えていない。

オートバイから投げ出されボロ雑巾のようになってコースに寝そべっていた(すぐ近くにいた計測スタッフの話、彼らは怖くて近づけなかったという)僕を抱き起したのは後続のテストライダーだった。大丈夫だと言葉繰り返し、起き上がろうとしていた僕を制止ししていたというが、そんな記憶なんぞ今でもまったくない。ちなみに会社への一報は、カワシマが富士SWのテストで死んだ、というものだったと後で聞かされた。へん、そんなヤワじゃないわい!

 

さて、運びこまれた病院では僕の意識が戻ったことと、全身のX線検査では骨折がどこにもないということで関係者全員が安堵し、みんな東京に戻ることとなった。もちろん僕は全身打撲でとても起き上がれないし、頭もかなり強打していて安静が必要ということで2〜3日入院することとなった。

まあこのアクシデントから考えて2〜3日で退院できるなら儲けもん、とヘンな納得をしながら夜を迎えたが、じつはそれから大変な展開を迎えることになるとは、この時点では想像もつかなかった。

この項続く、です。お楽しみに?

 

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ですもせでちのストリップです。これから外装のカラーリングに始まりフルカスタムの道へ...

あっ、文面とは関係ない写真シリーズでした。

 

 

 

 

 

 

筑波サーキット開幕戦。

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昨日の特スポ→土砂降り、本日の決勝日→快晴と目まぐるしく変わった天気のもと、筑波サーキット開幕戦の筑波TTが無事終了しました。

 

午前中の予選時は北風が強かったけど、午後からは風も弱くなり路面温度も20度を上回って、決勝レースはまずまずのコンデション。

各クラスとも転倒車は極端に少なく、おまけに赤旗中断も皆無で開幕戦のレースとしては満点に近い結果でした。どのレースもこんな感じだといいのにね。

さてGSX-Rのワンメイクレース、GSX-Rカップクラスでは白熱のレース展開となり、なんと最終ラップの最終コーナーでケンツガレージ住人?のKさんがトップを奪い、見事に優勝!!  

GSX-R600を駆けるKさんのお隣住人のMさんも3位に入り、おまけにR1000を尻目にファステストタイムを叩き出すという大活躍。

そして今回のTTがデビューレースとなったNさんとSさん、ふたりとも次回に期待できる力走を見せてくれました。

TTに出場したみなさん、お疲れさまでした〜  

 

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表彰式で大きな優勝カップを掲げるKさん。その右隣がMさんです。

 

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これは朝のオフィシャルミーティングのカット。コーナーポストに入る40数名のオフィシャルさんたちで、彼らがいないいとレースはできません。レースの縁の下の力持ちの役目、ご苦労様です。

 

 

始まりましたね。

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この数日、雪が降ったり春らしい陽気だったり... これは長かった冬が終わりに近づいた証拠でしょうね。

そんな中、先月末の大ガレージセール、二輪雑誌のテスト仕事、ヒミツバイクのカスタムの打ち合わせ、GSX-R1000K9の短期間予約騒動、そして2月は会社の決算月!! 

こんなベリービジーモードが続き、ブログを書くヒマを見つけられませんでした。

んで、春の陽気の今日(ケンツ休業日!)も、お店でパソコンと向かい合っています...;^^A

 

さて明日と明後日は筑波TTでレースアドバイザーです。この筑波TTのGSX-Rカップにはケンツのお客さまが4台もエントリーしています。そのうちのNさんとSさんはこれがデビューレース! なんか僕がドキドキしちゃいます。 

TTが終わると、来週末は筑波ロードレース選手権、その次の週末はもてぎロードレース選手権、その合間にDE耐!の走行会もあったりして... 、あっケンツツーリングもやらなきゃ;^^A

まあつまりいよいよオートバイシーズンが始まったということですね。

デスクワーク中ながらワクワクしてきましたぁ(^^)V

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新型のスーパースポーツ600を揃えての二輪雑誌テスト。

このときは快晴、ワインディングでブン回せる600は楽しかったなぁ。