ワールドツクバの代表、橋本 勇社長が20日未明に亡くなった。
僕の125cc時代に大変お世話になった方だ。
現在のワールドツクバは筑波サーキットの目の前にショップがあるのでご存知の方は多いだろうが、僕らテクニカルスポーツ関東の一期生が走っていた時代は、そこよりもう少し手前のそれこそ畑の中の一軒家といった感じのコンパクトな工場だった。
僕は125ccでレースをやり始め、少しばかり走れるようになってから橋本さんに面倒を見てもらうようになった。あの船橋サーキット時代からの叩き上げの人だから、職人の中の職人、とにかく恐かった。みんな橋本さんなどとは呼ばずに「おやっさん」と呼んだことからもそれは伺えるだろう。
おやっさんには本当にたくさんレースのことを学ばせてもらった。ときにはスパナが飛んできたこともあった。「そんな整備してたら死んじまうぞ!」と。
テクニカルスポーツ関東はもろ体育系のチームで、予選落ちは坊主刈り、新人は先輩の手伝いと犬の散歩(橋本さんは大型犬が大好きだった)と、上下関係がかなり厳しっかったが、ほとんどのチーム員が国際A級に昇格し、いつしか名門チームと呼ばれるようになっていった。
厳しかったおやっさんだったけど、僕らがワールドから帰るときは「おう、気をつけて帰れよ」と、それまで憮然としていた態度がこのときだけは必ず和らいだのが、とても印象に残っている。
当時は年始から年末にかけ、鈴鹿サーキットでオールホンダの合宿というものがあり、僕らテクニカルスポーツ関東も合宿に参加、この体験はレースライダーとして大きな収穫になったと今でも思っている。12月29日に鈴鹿に入り、朝は5時起きで白子の海岸を走らされ、体育館で柔軟やマット運動、その後にやっとコースをレーサーで走り、整備してまた走り、最後に模擬レース。
翌日の大晦日も朝5時起床でトレーニング(そうそう、トレーニングの先生はあの東海大学の田中教授だった!)ののちコース走行、さすがに元日だけはお休み、しかし2日からまた白子の海岸からはじまり...と、とにかく2本の足とレーシングマシンで走った数日間だった。このオールホンダの合宿も橋本さんがいなければチームとして参加できなかっただろう。ホンダに対しても力をもっている人だった。
近頃はすっかり好好爺っぽくなって、昔の恐いおやっさんというイメージはかなり薄れていた。筑波の帰りに寄ると、「おまえ、サーキットの仕事ばっかじゃなく、ちゃんと店にもいるようにしろよ!」とおこごとももらったが、やはり帰り間際にはあの気をつけて帰れよのフレーズが必ず出た。
3年ほど前にはテクニカルスポーツ関東第一期生が集まり「橋本さんを囲む会」を開いたが、全員の記念写真では中央に座るおやっさんが、見事に両手でピースサインをしていた。「オヤジ、よっぽど楽しかったんだろうな」とみんなで頷き合った。
橋本さん、いや、おやっさん、本当にお世話になり有難うございました。
合掌
合掌ーー;